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今日の誕生日の花は   ヒヨドリバナ 

 
 
  花言葉                     清楚
キク科
yjimage@

風に揺れているヒヨドリバナの清らかなイメージを、探し物を見つけてもらった時のようなすっきりしたきもちに重ねて思いました
 
探し物みつけてもらったようである
ヒヨドリバナの清楚な身振り   鳥海昭子


1904年、明治37年10月15日 日本海海戦 ロシア海軍 バルチック艦隊(第2太平洋艦隊)、リバウ港を出港。一路極東を目指し遠征航海が始まる。

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団塊の世代のブログ主。
父母は農作業で多忙すぎ。でぇ日々の親は祖父母。
その祖父、袈裟助は、日清・日露二つの激戦に従軍。多くがなくなる中で生還。
生命の受け継ぎは不思議なもので、戦死してれば、小生の生命は存在してないわけで、
歴史は不思議なものですし。
その日露戦争・戦争終結の
ポーツマス条約の全権・小村寿太郎外務大臣。
その人が日向の国出自も縁を感じますね。

日清日ロ戦争は、過去の歴史でなく、中学生まで共に過ごした祖父従軍戦争であり、
現実的に、学校教育の場で、誇らしげに、戦記に触れてた幼少期複雑ながらでした。
その祖父、村長選に負けて、います。

90何歳か過ぎてても、自転車でに鍬をくくり、農作業の遠方地まで農業従事してました。
新聞アカハタさえ、一軒ごと、一般紙に忍ばせて、4,5軒宅配してた、
その頃はブログ主は反戦目覚めゆえに
兵隊の英雄の爺、袈裟助に、兄らと違い、反発の心根持っていました。申し訳ありません。

いまは、清濁併せ呑む度量あり、戦争の話聞きたくて、人生の汚点です。
西南戦争の明治10年。動く西郷隆盛を見てるらしんです。辻褄は会います



1018年10月16日
藤原道長の娘・妍子[かんし]が皇太后に、威子[いし]が御一条天皇の中宮になる。
道長は「此世をば我世とぞ思ふ望月の欠けたる事もなしと思へば」と自らの繁栄を詠む

1277年10月16日
冷泉為相の母・阿佛尼が、所領紛争の解決のため京から鎌倉へ向けて出発。『十六夜日記(いざよいにっき)』を書き始める(1279年とも)



1656年10月16日 明暦2年
江戸大火、元呉服町を火元に48町が焼失1908年10月16日
司法省、監獄局、初めて全国の監獄に、受刑者(満期接近の者)の指紋徴取を指示。
徳田秋声『新世帯』(『国民新聞』-12.6 1909年9月刊行)。この作により自然主義作家に加わる。
天明8年(1788)、11代将軍・徳川家斉の剣術指南役に。文化4年(1807)8月5日、養嗣子・俊豊に家督を譲って隠居し、文化13年(1816年)6月5日に死去。享年87。墓所は東京都練馬区桜台の広徳寺と奈良県奈良市柳生町の芳徳寺。→Image
江戸定府は参勤交代の必要がなく、藩財政が圧迫されない。これは大変な優遇。一方、柳生家をはじめ徳川譜代の大名の多くは領知高が大名の要件ギリギリの低さに抑えられている。これも幕府の政策で、譜代だからといって経済力と権力を持たせないということ。→Image大大名の多い外様は経済力があるので、幕政に参加させず、権力を持たせないようにした。大大名も内実は財政的に苦しい所が多かったし(武家そのものは生産者ではなく、消費者)、これが討幕にもつながるわけだが。

1793年10月16日 幽閉されていたルイ16世妃マリー・アントワネットが断頭台で処刑Image